18歳以下のADHD者へのアドバイス

 

※この文章は私の経験と主観によるものです。さっき思いついた思考をまとめた程度のものです。

かなり汚い文章で暇なので時書き直そうと思っています。4000文字ほどあるのにダラダラと同じようなことを書いてしまっているため、文字にとらわれず要点だけ掴むように読んでください。

 


1.ADHDに戦略が必要?

ADHDには定型と同じように仕事の期限を守ったり、タイムマネジメントをしながら仕事をこなすこと、いくつもあるタスクを管理しながら仕事を進めていくことは難しいことであろう。・・・・・とまあ、ADHDは社会人として働くには不適合なことが多すぎる問題がある。現在人々が営んでいる環境から外れてしまっているため「発達障害者」なのであって淘汰されるべき人種ではあるのです。残念ながら社会の上では馴染むこともできなければ、問題ばかり抱えるお荷物。それが'発達障害者'たる所以です。社会から外れてしまっている存在なのです。
ただし、一部例外もいます。元々に知能の高い者、才能に秀でた者、高水準の知能と才能を持ち合わせた上でADHD特有のバイタリティを活かす者。この人達は発達障害者の中でも同じ人種から嫉妬を受ける存在ですね。


前置きの前置きになりますが、ADHDの診断時期は社会人になってからが大半のようですね。8割弱は社会に出てから不適合により診断を受けるケースが多いようです。単純に皆(定型)ができるような事務的な仕事や時間を守ったり、タスクを管理して仕事を回すことができないから、(自分は)何かがおかしいと思い始めるそうですね。
前置きに戻ります。高校では定型の人たちと普通に勉強をし、普通に学力程度の大学に進学をし、まあまあ人によって違いはあれど大学生活をエンジョイして社会に出る。ここでは労働者ということで話を進めますね。社会人になるまでは、特になにも困ることはなかった人たちなわけですよ。大半は。少し変わっている人も多数いるでしょう。少し得手不得手が激しいと感じる人もいるでしょ。少し時間を守ったり、落ち着きがなかったり、話好きな人もいるでしょう。多少の違和感は感じていたが学生生活では、目くじらを立てるものでもなければ、問題として捉える必要性すら感じなかったことでしょう。
そして社会で労働者になってから、社会人として欠陥品であると気づきます。
今回アドバイスをする対象はまだ社会に出ておらず、進学なりブラブラする時間なりモラトリアム期間が残されている者たちです。


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2.社会人になってから自分がADHDであると認知するリスク社会人になってからADHDだと知ると何がまずいか?


A.自分で自分のことがわからない。苦手程度に捉えていたこと、「怠惰」という言葉程度で捉えていたものが「欠陥」ということに取り変わってしまうこと。

矯正が効かないんですよね、ADHDによる欠陥は。タイムマネジメントやら、タスク管理やら、切り替えを心がけるやらそういったセルフコントロール系のことがまるで効かない。どこまでがセルフコントロールというべきなのかはわかりませんが直そう、修正しようというのが効かない。仕事をしながらだと、これに戸惑います。焦りや不安もありますでしょうしそれ以上に自分が自分でないような、自分がわからなくなるような感覚になります。


啓発書に載っていることや、「時間 守れない」みたいな検索ワードで出てきたサイトに書かれているようなことは意味をなさないんですよね。ツールと心がけを両方に使う場合は大抵無意味。'気合'や'努力'みたいなものだけは誰にも負けないが結果が出ない、ような虚しさが湧いてくることでしょう。それに大抵、矯正系のことをすると続きません。自分を縛るようなやり方は本当にうまくやらないと無意味な努力になりやすいです。


B.適正のない職についてしまった場合社会人になってからADHDに気づくということは、大体早めに気づくでしょう。さて、普通の人間(と思って)として生きてきた人が「欠陥的な人間」ということになってしまったらどうでしょう?対応ができませんね。少なくとも働き始めてからADHDのフォローをできるような人はいないでしょう。環境もそう簡単に許してくれないでしょうし、今は有能未満無能であるという仮定で話を進めています。無能相手に手厚くフォローなんてされません。
まずいですよね?そうです。普通の人間は普通の仕事はこなせるという前提で社会に出ています。そうではない人間ではなかったということ、これはまずいですね。そして、今回の働いている例では才能もなければ不適正でミスばかりをするお荷物の無能だということ。働いてからADHDに気づいても手遅れですね。


C.才能を見つけられない中学高校時代は普通に普通科の授業を受け、普通に部活をし家では普通にゲームなりテレビなりSNSなりのほほんと過ごしてしまう。大学も同じような感じで過ごしてしまう。人には色々な経験はあるでしょうけど、才能や自分の活躍できる場所を知らないということにしましょうか。そんな人がとりあえず自信のあることや仕事にしたいこととかはないので、普通に中小企業なり大企業の総合職にでもなるとしましょう。アウトです、極論ですが人生詰みます。「いい会社になって出世して」みないな'キャリア'とは無縁と言えるでしょう。才能もよくわからず、よくわからないけど色々な仕事がある総合職で働いてみた、はアウトでしょう。定型とは違い能力に凹凸があるので、苦手なものといのが致命的な欠陥になります。苦手事を複数抱えしかも、致命的な欠陥になり得るでしょう。定型のように能力ごとに差はあれど、まぶせる程度の得手不得手ではないのです。さて、社会人になってからなんて誰も待ってくれないです。成長し切るところまで待ってくれません、才能を発掘してあげる場所でもありません。成果と労働価値のみなのです。企業があなたから欲しいものは。

 

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ここまで辛抱して見てくれれば嫌でも理解できると思います。「戦略なしで社会に出てからでは詰んでしまう」と。再就職先もどの業種に選べばいいのかアテもありません、能力高めではないADHDは嫌でも会社から去る羽目になるでしょう。才能のないこと能力のない仕事は選ぶべきではないと気づくでしょう。そう、能力に極端にばらつきがでやすく、(仕事の上で)欠陥をかかえると適応力が低くなりやすい。厳しいですがADHD者は考え無しで社会で生き残れるほど甘い存在ではないと思います。なんとなく就職をして、適正がないのにもかかわらず(その会社で長期間)やり過ごせるとは思えません。
大人になってから、得意なことや技能や能力、方針を持たない人は辛いと思います。生きるために働かなきゃならない。でも、働き口にありつけたはいいが仕事はできない、怒鳴られるわミスをするわ、自分のことが嫌になっていくものだと思います。メンタルの方が先に折れて結局辞めることになるでしょう。


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じゃあどうしたらいいの?
さて、不安を煽りに煽りましたが、まだ社会に出ていないADHD者はどうするべきか?とりあえずチャレンジをするべきですね。いろんなバイトをしたり、パソコンでプログラミングをしたり、ゲームを作ってみたり、動画を作ってみたり、音楽を作ってみたり。元々勉強が得意で学問を志すのもよし、IT系でイケイケのところでバイトするのもよし、居酒屋で働いたりキャッチを経験してみるのもよし、引っ越しや建築業のバイトをするのもよし、本を書いてみるのもよし、投資をしてみるのもよし、語学を学ぶのもよし、とまあ挙げたらキリがありません。言いたいことは、好き(関心があって)で得意なことを見るけてほしいわけですよね。かつ働くことに直接つながるようなことをしてほしいわけです。結局の所1人の人間は1つの職業にしか就けないわけですから、膨大にある職業の中からどれかを選ばなきゃいけないわけです。できれば、すでにできることや自信のあること、確実に成果の出せそうな職業を選んでほしいわけですよね。
まあ、ここでは能力の高くない系のADHD者を対象に話していましたがもちろんバイタリティが最大の能力であるのでベンチャーに挑戦してみたりしてもいいわけですよ。ベンチャーなんて経験だけでも得るものは多そうですしね。長く続けなければ見えてこない景色もあります。しかし、不得手なもの得意なものは選別をしてほしいわけですよね。それがよくわからなかったり、まったくわからなかったりすると社会人になってからは苦労すると思うので。社会人になってからは才能探しというものに、裾野を広げるのが難しくなると思うので。もちろん好きなことを早いうちに見つけたらとことやりこんで見てもいいと思います。早いうちに得意なことで、関心のあることならどこまでやれるのか試してみたらいいと思います。
まあ、ぶっちゃけてしまえば労働者としてありかたや働き方など10年前に比べるとかなり変わってきているので、なにも職能的な才能や能力がすべてという考え方が今後も通用するかわかりませんが。才能発掘ばかりにとらわれる必要はないと思いますが、ADHD者は得手不得手を知る、自分の欠陥を把握するということが重要でしょうか。

 

そのくらいですかね。ではこれで。